ファイナンスで日本企業に力を

ファイナンスで日本企業に力を

ファイナンスで日本企業に力を(前半)

これまで、監査法人から外資系のプロフェッショナルファームを皮切りに、様々な経験をしてきた。

いつからか、自分はファイナンスを武器とした経営者として仕事をしていくことを決めた。私が言うファイナンスとは「金融機関」や「投資会社」におけるファイナンスではなく、事業会社において企業経営を行うためのファイナンスである。即ち、シンプルに言うならば「経理財務」に囚われないCFOということになるが、そのきっかけは何であったか。

 

記憶を辿ると「巨象も踊る」に登場した、当時のIBMCFOであるJerry Yorkであったかもしれない。CEOであるLouis Gerstnerと企業を建て直す役割に、幼少時より歴史モノで「軍師」が好きであった自分は恐らく魅了されたのだ。

 

尊敬する大先輩から、若い内から「CFOという枠」を自らに課すことは無い、社長を目指したって良いじゃないか、と言われたことを思い出す。

それはそうなのだけど、登山と同じで、「登る山を決めたら登るのだ」という思いも当時は強かった。ただ、その言葉は心地よい程度に自らへのプレッシャーを和らげてくれ、とても助けられた。


プロフェッショナルファームのあとは、事業会社一本でやってきた。

 

それは、CFOを目指す上ではハンズオンでの経理財務経験が必須であると信じて疑わないからであるし、また一方で、コンサルと言う仕事が性分に合わないと感じたからでもある。

 

プレゼンやロジカルシンキング、クライアントとのコミュニケーションの取り方、考えることが好きであること等「Skill」の面で言えば、恐らく自分は事業会社よりもコンサルの方が向いているのだろうと今でも思っている。

 

ただ「Will」が違ったのだ。

 

「Will」と「Skill」とがマッチしてくれれば、どんなによかったことか。だが、違うものは仕方ない。「Will」の方が人生で大事だ。

 

自らが修羅場をくくり、苦労をして血肉となる事業運営の経験を得なければホンモノのCFOにはなれないし、なりたくもない。その「Will」が自分に事業会社に行けと命じたのだ。

その志向が強くなったのは、自分が20代のころに元デルタウィンCFOパートナーズの安藤さんから頂いた「プロフェッショナルCFO」というプレゼン資料の影響が大きい。

詳しく知りたい方は安藤さんの書籍(CFOを目指すキャリア戦略〈最新版〉)をご覧頂きたいが、その要諦は経営企画力や経理財務力は実務家として経験すること、そしてマネジメントとしての力は修羅場をくぐること、の2点であり、正にそこで示されていた道を道標にしながら歩んできた感がある。

「プロフェッショナルCFO」の資料より。
自分の場合は監査法人=>コンサル=>事業会社の順。

 

はじめての事業会社となった世界でも十指に入るグローバル外資系企業では、ファイナンスの力強さ、マネジメントやFP&Aのイロハを学び、優秀で並外れたリーダーシップを持つ上司と出会えることができた。

ロールモデルと思える方々と身近に働けたことは、かけがえのない財産になり、今でも自分の「ファイナンス」としての軸になっている。


はじめての日本企業となったIT系企業では、上場企業としての業務はもとより、業態ならではの事業スピードに加えて、「どうやったらできるか?」「本質は何か?」を「徹底的に考えぬく」というマインドセットを鍛え抜かれたように思う。付いて行くのに必死で、過ぎ去った時間の何倍もの経験をさせてもらった本当に貴重な2年間だった。


その後、非上場企業やスタートアップ企業でCSO(SalesではなくてStrategyの方)やCFOの機会を頂いた。スタートアップでの経験は、大企業とは全く異なる視点でのアプローチが必要であったが、外資系企業とIT系企業での経験値が掛け算で作用し、怖いものは何もなかった。

そして、CFOのような軍師的な役割を担う場合、人間的に尊敬できるトップとでないと、一緒に事を成すことは困難であることも実感することができた。困難と言うよりも、自分の生き方としてそれを望まないこともハッキリとした。


これらの経験を得ることができた「縁」にはひたすら感謝しかないのだが、プロフェッショナルファームからグローバル大企業、日本企業、スタートアップまで幅広く携われた中で、今、自分はトラディショナルな日本企業をファイナンスの力でVital(活力ある状態)にする役割を担いたいと考えている。

 

後半へ続く